安らかに葬られる

  • 11月3日
  • 聖書箇所:創世記15:12~16
  • 説教:大友英樹牧師

この1年で赤羽教会では5名の愛する兄弟姉妹を天の御国へとお送りしました。年若い姉妹、長く信仰を歩まれた兄弟、人生の後半から信仰を歩まれた兄弟姉妹、病床で洗礼を受けられた兄弟であります。共に地上の教会で過ごした日々を思い起こしつつ、今は天にあってともに礼拝をささげていることに心を向けたいと思います。私たちは地にあって、彼らは天にあって、同じ神を賛美し、御子イエス・キリストをほめたたえ、聖霊が一つに結んでくださっています。今日はすべての天に召された聖徒たちを覚える聖徒の日の礼拝において、信仰の父と呼ばれるアブラハムから聖書の御言葉をいただきたいと願っています。今日の聖書では、名前が変わる前なのでアブラムという名前になっていますが、アブラハムという名前を用いたいと思います。

アブラハムが75歳のとき、神さまから語りかけがありました。「私が示す地に行きなさい」。それは大きな神さまの目的がありました。アブラハムが祝福の基となるということです。別の表現で言えば、神さまの救いの御業のためであります。聖書は創世記のはじめに、人が神のごとくになろうとの思いをもって神さまに背いたと語ります。それを聖書では罪と呼びます。その罪のゆえに、人は死ななければない者となった。罪のもたらす報酬、それが死というものだというのです。そうした罪から救われるために、神さまの祝福がもたらされるためにアブラハムは選ばれました。そして「私が示す地に行きなさい」との御声にしたがって、カンナという地方にやってきます。神さまは言われます。「私はあなたの子孫にこの地を与える」。それは一度ならず、繰り返されます。今日の聖書の箇所もそういう場面のなかにあります。

15章のはじめには、アブラハムは「あなたは私に子どもを与えてくださらないので、自分の跡を継ぐのは、自分のところで仕えているエリエゼルです」と語ります。神さまは「あなた自身から生まれる者が後を継ぐ」ことになると仰せになり、アブラハムに夜空を見上げるように促します。そして「天を見上げて、星を数えることができるなら、数えてみなさい。あなたの子孫はこのようになる」と約束します。アブラハムは夜空を見上げて、満天の星を眺めます。そして「このようになるのか」と信じる者となります。そしてその約束を確かなものとするために、神さまが契約を結ぶことになります。聖書にある古代の時代の契約は、今日の私たちが契約書にサインをする契約とはずいぶん違います。捧げものの動物を、ここでは雌牛、雌山羊、雄羊が二つに切り裂かれて、向かい合わせに置かれます。聖書の契約と言う言葉は、「切る」という意味があります。「契約をする」というのは、そのまま訳せば「契約を切る」となります。そしてこうした捧げものを切り裂いて置くのは、「私が契約をやぶったならば、このようになっても構いません」という意味でもあったようです。契約を結ぶお互いが、その切り裂いた捧げものの間を通り抜けて契約が結ばれるということです。アブラハムはそのようにして準備をして、その捧げものを狙う猛禽が来ると、それを追い払いながら、神さまがその間を通られることを待ち望んでいました。その日、一日中、そのようにしていたのでありましょう。日が沈みかけた時、アブラハムは深い眠りに落ち、恐怖と深い闇が襲ってきます。

恐怖と深い闇、猛禽が襲ってくるのを振り払うときの恐怖もあったでありましょう。しかしここでは深い眠りの中での恐怖と深い闇であります。「いったいこれからどうなってしまうのだろうか」という恐れと深い闇です。すでに80歳を超えていたであろうアブラハムですから、様々な人生の経験をしてきたでありましょう。だからと言って、恐れがなくなるとか、深い闇と呼ばれるどうしようなく先が見えないことからは解放されるわけではあります。「あなたの子孫は星のごとくにある」とは信じたものの、「これからどうなってしまうのだろうか」という恐れと深い闇に襲われてしまいます。そんなアブラハムが深い眠りに落ちる。それは寝落ちしてしまうということではありません。聖書はしばしば夢の中、眠りの中で、神さまのみ旨、ご計画が告げられるのであります。ここでもそういうことです。アブラハムが疲れて眠ってしまったということよりも、聖書をそのまま直訳すると「深い眠りがアブラハムの上に落ちた」となりますから、神さまがこの眠りをお与えになり、そのみ旨を教えてくださったのであります。

夜空を眺めて星のごとになると約束をいただき、この地をあなたの子孫に与えるとの約束をいただいたアブラハムでありますが、一人、切り裂かれた捧げものを前にして、「これからどのようになるのだろうか」という恐れ、深い闇が襲ってくる。このことはアブラハムのみならず、誰もが襲われることであります。私たちは過去のことはわかっています。あの時どうだった、このときこのようにしたというようなことを思い起こすことができます。それは良い思い出であり、そうでないものもあります。それは過ぎ去ったことですから、変えようがないことですから、特別なことがなければそれで恐怖や深い闇におちるということはないでありましょう。しかし私たち誰もが将来は経験することはできません。誰もがはじめての経験をします。そこには恐れがある。深い闇とは言わないまでも不安があります。過去は定まっていますが、将来はわからない。ここでアブラハムは神さまからの約束をいただいているわけですが、しかし恐怖と深い闇に襲われる。「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」とその信仰を認められ、信仰の父と呼ばれるアブラハムではあっても、将来はわからない。そんなアブラハムに神さまは夢の中で、ご自身の計画をお語りになります。

まず第1に、あなたの子孫は異国の地で寄留者となります。それはエジプトに移り住むということです。飢饉があって、アブラハムの孫にあたるヤコブとその家族70人がエジプトに移り住むようになります。

第2に、そのエジプトに400年の間住むようになる。その間、奴隷として仕えるようになり、苦しみを経験する。

第3に、エジプトから救い出される。多くの民となったアブラハムの子孫、イスラエルの民が出エジプトの救いを経験する。そのときにはエジプト人が金や銀を与えて持たせてくれる。

第4に、イスラエルの民がこの約束の地に戻って来る。「四代目の者たちが戻って来る」とありますが、これは一代が100年ということで、出エジプトまでがあわせて400年ということのようです。

このようなアブラハムからすれば、400年あとの将来のことまでもご計画をもっておられることが教えられます。400年ということですから、日本でいえば関ヶ原の戦いから400年後に今の時代のことを明らかにして、日本の国はこのようになるのだよと言われるようなものです。自分のことだってどうなるかわからないようなアブラハムに、400年後のあなたの子孫は出エジプトしてこの地に戻って来る。そうした神さまのご計画がアブラハムに教えられます。アブラハムが400年後にそのような経験をすることはできません。しかし安心しなさい。私はあなたとあなたの子孫に、このような計画をもっているから。あなたとあなたの子孫によって、すべての民が祝福に入る。救いの恵みに入る。そのためにあなたの子孫であるイスラエルの民をエジプトから救い出す。私はそのような計画を立てています。今、あなたはそのようなことを思いもよらないかもしれないけれども、安心しなさい。あなたが地上の生涯を終えても、私の計画は変わることがない。ですから、何も心配することなく、恐れることはありません。「あなた自身は良き晩年を迎えて葬られ、安らかに先祖のもとに行く」。アブラハムが地上の生涯を終えるのは175歳のときであったと創世記25章にあります。75歳のときに「私が示す地に行きなさい」との招きをいただいてから100年、あなたの子孫はこのようになると夢で約束をいただいてから90年、約束の子イサクが生まれてから75年、長い生涯でありましたが、そこで終えることになります。25:8に「アブラハムは良き晩年を迎え、老いた後、生涯を全うして息絶え、死んで先祖の列に加えられた」。約束のとおり、良き晩年を迎え、生涯を全うして安らかに葬られたのであります。

アブラハムに与えられたような、400年も先の出エジプトの約束、計画というような、スケールの大きな約束、計画が誰にでも与えられるということではありません。アブラハムは神さまに選ばれて祝福の源とされたわけですが、それは全世界の救いのために選ばれたということです。ですからスケールの大きな約束、計画が与えられたわけです。私たちにはそんな大きな約束とか計画は与えられないでありましょう。私たちが不安に思い、「どうなってしまうのだろうか」と恐れに駆られることは、せいぜい自分の身の回りのことであるかもしれません。しかし神さまはそんな私たちにも、わたしにも、あなたにも計画をもっておられます。あなたのお仕事のことにも、あなたの生涯のことにも、あなたが地上の生涯を終えてからのあなたの家族のために、あなたの関りのあることのためにも、神さまは計画をもっておられます。10月のオープンチャーチで北川先生をお迎えしたとき、エレミヤ書29章の御言葉をお語りくださいました。「あなたがたのために立てた計画は、私がよく知っている。それはあなたがたに将来と希望を与える計画である」。神さまのあなたへの計画は、将来と希望を与えるものです。神さまは私のためにそのような計画をもってくださっているゆえに、地上の生涯を全うし、良き晩年を迎えて安らかに葬られるのであります。良き晩年とありますが、長寿ということもありますが、若くしても良き晩年というものがあります。神さまが私のために素晴らしい計画をもっていてくださることを信じることができるときに、その生涯の長短がどのようであっても、良き晩年を迎えて、安らかに葬られる恵みがあります。神さまはアブラハムのために400年の先の計画をもってくださいました。アブラハムほどではないとしても、私に与えられている神さまの計画を信じることができることは幸いであります。

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