牧師からみなさんへ

大友牧師ようこそ赤羽教会ホームページへ!

 赤羽教会は1951年から赤羽・志茂でイエス・キリストを宣べ伝えています。
 イエス・キリストは約2000年前、イスラエルの小さな村で生まれました。イエス・キリストがお生まれになった日がクリスマスです。今では西洋だけでなく日本でも誰もがこの日を知っていてお祝いしていますね。しかし、なぜクリスマスが喜ばしいかを知っている人は多くはありません。

 イエス・キリストは、私たちを救うために、神の子であるにも関わらず人の子としてお生まれになりました。そして、私たちの罪のために十字架にかかって救いの業をなさり、復活なさったのです。イエス・キリストの十字架によって救いがなされたので、私たちはクリスマスを喜ぶのです。

 聖書には「今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」とあります。この御言葉は遠い昔、遠い国のものではありません。「今日」「あなたがたのために」「救い主」が与えられているのです。人生は出会いで決まります。このホームページを開いてくださった皆様がイエス・キリストに出会い、喜びと希望に満ちた人生を歩まれますようにお祈りしています。
 ぜひ教会へ足を運んでみて下さい。心からお待ちしています。

赤羽教会主任牧師 大友英樹

 

岡田牧師歓迎の言葉

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

 19世紀後半に活躍したポスト印象派のフランス人画家、ポール・ゴーギャンが描いた絵画の一つに、このような作品があります。ゴーギャンは、少年期にキリスト教の寄宿舎学校で聖書を学んだこともありました。彼は、心の内にずっと秘められていたこの「生」への問いを、晩年、ポリネシアのタヒチで描いた大作を通して表現しました。そしてこの問いは、今を生きる、私たちの心の中にもある問いではないでしょうか。

 「『いつ(When)』『どこで(Where)』『誰と(With whom)』『何を(What)』『どのように(How)』すべきか。」世の中の多くの書物が、さまざまな知見を紹介しています。しかし、聖書は、私たちに次の問いを投げかけます。

「人は、『なぜ(Why)』生きるのか。」

 聖書のメッセージは、シンプルでありながら、味わい深いものです。新約聖書マタイによる福音書5章44節には、次のようにあります。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

 私たちが聖書の言葉に耳を傾け、それらを真摯に受けとめ、その通りに生きようとするなら…私たちはたちどころに、そのような生き方が不可能なことを悟るでしょう。神は、なぜそのような生き方を促されるのか。何がそれを可能とするのか。聖書には、その答えが記されています。

 教会は、この聖書の言葉に聴き、そして真の愛がどこにあるのかを聴こうとする者たちが集まるところです。父なる神は、私たちを造り、一人一人を愛するがゆえに、ご自身の独り子であるイエス・キリストを救い主として私たち人間に与えてくださいました。イエス様の十字架での死と復活が、自らの罪の身代わりであることを、聖霊の助けのうちに、感謝をもって受けとめ、希望をもって信じる者たちの集まり。これが、教会です。

 この集まりに、あなたも招かれています。ぜひ、日曜日の礼拝においでください。あなたのご来会を、また、ともに「生きることの意味」を考える豊かな時間を、心からお待ちしております。

赤羽教会協力牧師 岡田 朋記

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

D’où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous(P. Gauguin 1897)

 
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