何をすべきでしょうか

  • 10月27日
  • 聖書箇所:使徒2:37~42
  • 説教:大友英樹牧師

西暦30年5月28日、今日読みました聖書の出来事が起こりました。その日はペンテコステという祭りの日です。聖書には3つの大きな祭りがありました。それはいずれもイスラエルの民がモーセに率いられてエジプトから解放され、救われて、出エジプトをしたことを記念するものです。春の4月頃に出エジプトの始まりとなったことを祝う過越の祭り、初夏の5月頃にシナイ山で十戒を与えられたことを祝うペンテコステの祭り、秋の10月頃に出エジプトしてから40年の荒野の旅を守られたことを覚える仮庵の祭りであります。今日の聖書は2つめのペンテコステです。2章のはじめには五旬祭となっています。旬というのは十日のことで、それが五つあるので五旬祭、つまり50日目ということです。ペンテコステは50日目の祭りということになります。この日、シナイ山で十戒を与えられたことを祝うと言いました。しかし厳密にいえば、出エジプトしてから50日目に十戒を与えられたということではありません。元々ペンテコステは収穫の祭りであったようですが、出エジプトしてから十戒が与えられた日数が重なるところがあるので、ペンテコステに十戒が結びつけられて祝われるようになったようです。いずれにしても、三大祭りの一つですから多くの人々が集まっていました。

教会の歴史からしますと、このペンテコステはあることから50日目でありました。それはイエスさまが十字架に死なれて、3日目に復活された、その復活の日から50日目であります。イエスさまは復活ののち、40日にわたってたびたび弟子たちをはじめ多くの人々にご自身を現わしました。聖書には55年頃に書かれたⅠコリントの手紙に、500人以上の人々に現れて、今も大部分の人々が生きていると書かれています。イエスさまの復活のときから25年が過ぎたときの手紙です。25年前のことであれば、私たちもこういうことがあったとその経験を話すことができます。同じように、25年前、復活されたイエスさまにお会いしたと話すことができる人がまだ大勢いたわけです。そのような証人がなお存在しているイエスさまの復活の日から数えて50日目、それがペンテコステの日になります。

そしてこの日、イエスさまは一つの約束を成就してくださいました。10日前に、イエスさまは天に昇られました。そのとき弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降り、私の証人となる」との約束をくださいました。しかしそれがいつかは言われませんでした。ですから弟子たちは、それから毎日毎日集まってお祈りをしていました。弟子たちだけでなくて、イエスさまの母マリア、兄弟たち、さらには120人ほどの人々が集って熱心にお祈りをはじめます。一日、二日、三日と続いて、10日目、ペンテコステの日になりました。その日は50日前にイエスさまが復活された日と同じ日曜日です。この日もお祈りをするために集まってくると、今日の聖書の使徒言行録2章のはじめには次のように語られています。《突然、激しい風が吹いてくるような音が起こり、彼らが座っていた家中に響いた。…すると一同は聖霊は満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした》。神の霊、聖霊が降る。これがイエスさまの約束でした。そうするとどうでしょう。ペテロをはじめとしたイエスさまの弟子たちは、他国に言葉で話しだします。彼らがそれまで知らなかった外国語を話しだしたというのです。このペンテコステの祭りに集まっていた人々が、この物音にひきつけられて集まってきます。聖霊が降るすごい音がして、そこに行ってみると、イエスさまの弟子たちが他国の言葉で話している。エルサレムには様々な地域から移り住んできたイスラエルの人々や祭りのために旅行してきた人々がいました。東は現在のイランやイラクなどアラビア、南はエジプト、北は現在のトルコ、ローマ人、クレタ人、アラビア人もいました。彼らは自分たちの故郷の言葉で語る弟子たちを見ます。そして驚き、戸惑い、新しいぶどう酒に酔っていると嘲る人もいました。そんな中、イエスさまの一番弟子とも言うべきペトロが、他の弟子たちと共に立ち上がって、はじめての説教を語りはじめます。ペトロの姿は、堂々として、確信に満ち、力に満ちた説教者の姿でした。

ペトロが語ったのは5つのことです。第1はこのことは旧約聖書のヨエルという預言者の言葉を引用して、聖書の預言が成就したということです。二つめはイエスさまのことを語りはじめます。イエスさまこそが神から遣わされた方です。イエスさまのなさった奇跡や不思議な業としるしのことは知っているでしょう。三つめに神さまはご計画によって、イエスさまをあなたがたに引き渡し、十字架につけられた。4つめに詩編16編を引用して、しかし神さまはイエスさまを復活させてくださいました。私たちはそのことの証人です。そして五つめが《あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、メシアとなさったのです》。イエスさまこそが主であり、つまり神であり、メシア、救い主です。このように聖霊に満たされて、ペトロは語りました。

聖書のあるところに、「5つのこと語ろう」と言われているところがありますが、ペンテコステは教会のはじまりと言ってもよろしいので、はじめての教会の説教、キリスト教のメッセージは5つです。一つ、聖書の預言、約束が成就したこと、二つ、神さまがイエスさまを遣わしてくださったこと、三つ、神さまのご計画によってイエスさまが十字架に死なれたこと、四つ、神さまがイエスさまを復活させてくださったこと、5つ、イエスさまこそ主であり、神であり、メシア、救い主であること、この5つです。

さて、このようなペトロの説教を聞いたとき、《人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロの他の使徒たちに、「兄弟たち、私たちは何をすべきでしょうか」と言った》、これが今日の聖書の箇所になります。「どうにしたらいいのでしょうか」、「何をしたらいいのでしょうか」。イエスさまのことを聞きました。十字架と復活のことを教えられました。イエスさまが救い主であると知りました。それではどうしたらいいのですか。ぜひ、私たちもイエスさまのことを聞き、教えられ、知ったならば、そのまま素通りしないように、聞き流さないようにしたいと思います。どうしたらいいのですか。何をすべきでしょうかという彼らの問いは、私たちの問いでもあります。

ペテロが語るのは28節にある3つです。一つめは悔い改めなさい。これは方向転換ということです。イエスさまの方に自分の心を向けなさい。イエスさまの十字架と復活の方に自分の心を向けなさい。そうすると、神さまと自分の関係が正されていきます。神さまはあなたと出会いたいと願っておられます。あなたと向き合いたいと願っておられます。しかし人はその神さまの思いを知らず、背を向け、己の道を歩もうとする。聖書はそうした神さまとの関係が断絶してしまっていることを罪と呼びます。そして人はみな罪の中にある罪人であります。

2つめは罪を赦していただきなさい。なぜ、聖書の預言が成就され、神さまがイエスさまを遣わされ、十字架につけられ、復活させてくださり、イエスさまを主として、救う主としてくださったのでしょうか。あなたの罪が赦されるためです。あなたが悔い改めて、方向転換して、イエスさまの方に向ける。そのイエスさまはどのようなイエスさまでしょうか。あなたの罪の身代わりに、私の罪のために十字架にかかられたイエスさまです。あなたの前には罪と死に勝利されて復活されたイエスさまがおられます。主であり、救い主であるイエスさまの方に心を向ける。ここからが重大です。私たちは誰もがそうしたイエスさまに出会っています。イエスさまが十字架に死なれたとか、弟子たちは復活を宣べ伝えたというように学校の教科書には書いてあるので、イエスさまを知っています。聞いています。しかし、私とは関係がないと思っている。大半の人はそうでしょう。しかし私の罪、神さまの思いを知らす、背を向けて、己の道を歩む、そうした私の罪を深く知る者には、罪の赦しがそこにあります。イエスさまの十字架と復活によって、私の罪は赦されたと信じる者にのみ、罪の赦しがもたらされます。

そして3つめに、洗礼を受けなさい。《めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい》。厳密に言いますと、ここは「罪を赦していただくためにバプテスマを受けなさい」と訳すので、罪の赦しと洗礼はセットになります。罪赦されて、救われた、けれども洗礼は受けませんとはなりません。イエスさまも《信じてバプテスマを受ける者は救われる》と言われました。洗礼は罪が赦され、新しく生まれかわるしるしであります。罪に死んで、新しい命に生きる。十字架の死と復活が洗礼にはあります。洗礼を受けるときに、名実ともに罪赦され、新しく生まれかわり、神の子とされるクリスチャンが誕生します。41節には《ペトロの言葉を受け入れた人々は。その日に三千人ほどが仲間に加わった》とあります。三千人が洗礼を受ける。そして42節には《そして、一同はひたすら、使徒の教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた》と礼拝をささげる教会が誕生したことを伝えています。

このペンテコステの日の教会の誕生物語は、今も変わらず私たちを招いています。悔い改め、罪赦され、洗礼を受け、あなたも教会に加わりなさい。

何をすべきでしょうか
トップへ戻る