イエスさまの宿屋

  • 12月15日
  • 聖書箇所:ルカ2:1~7
  • 説教:大友英樹牧師

日本では5年ごとに、国勢調査が行われています。
日本に住む人が何人なのか。年齢の分布はどうなっているのか。どんな仕事についているのというように、今の日本の国の姿を調べています。イエスさまがお生まれになったとき、今から2000年ぐらい前になりますが、当時はローマ帝国という大きな国が地中海の周りを囲むようにして支配していました。

イスラエルの国もその中の一つになっていました。ローマ皇帝のアウグストゥスが住民登録をするようにと命令を出しました。ローマ帝国の人口がどのくらいなのかということを調べようとしたのです。しかも住民登録するためには、自分の故郷、自分の出身地に帰らなければなりません。ずっとその町に住んでいる人であれば、その町で自分の名前や年齢を登録できますから簡単ですが、離れたところに住んでいる人はそういうわけにはいきません。みんなそれぞれが自分の町に登録するために旅に出なければなりませんでした。
ある人は船に乗って海を渡らなくてはならなかったでしょう。ある人は遠い道を歩いていったことでしょう。ヨセフとマリアはナザレの町に住んでいました。そこからヨセフの故郷であるベツレヘムへと歩いて行きます。直線距離で100km、先週お話ししたように、ヨルダン川の方を迂回していくので、もう少し距離があります。9か月ほど前に、マリアはエリザベトのところに行きましたが、そのときと同じようなルートを通って行きます。ヨルダン川の方からベツレヘムに行くために、1000mぐらい山を登っていかなければなりません。そのときはまだマリアのお腹は大きくありませんでしたが、住民登録をするためにベツレヘムに行くときには、もうすぐ生まれそうなときです。歩いて行くことは難しかったでありましょう。飼い葉桶のあるところでイエスさまが生まれたということですから、ロバのような家畜に乗っていたのではないかと思われます。

さて、登録をするために旅に出る人たちは、農家であれば収穫が終わったときというように、一斉に旅に出ることになったと思います。神殿があるエルサレムのような町では、祭りのたびに多くの人々がやって来ますので、ある程度の対応ができたでありましょう。しかしベツレヘムの町はエルサレムの南9kmぐらいにありましたが、小さな町でしたので、そこに大勢の人たちがやって来ても対応で
きなかったようです。今日の聖書はイエスさまがお生まれになったときの様子が語られています。6・7節《ところが、彼らがそこにいるうちに、マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである》。宿屋とありますが、ベツレヘムは小さな町ですから宿屋、いわゆるホテルというのは数が限られていたと思います。住民登録に来た人たちは、普通の家に泊めてもらうしかありません。ですから以前の聖書には「客間には彼らのいる余地がなかった」と訳されていました。客間といっても普段は使っていない部屋というのではなくて、普段使っている部屋に居候させてもらうという感じです。多くの家では家畜小屋があって、そこにヨセフとマリアはそこに案内されたようです。イエスさまが生まれると、家畜のえさを入れる飼い葉桶にきれいな藁を入れて、そこをベッドにされたというのです。おそらく同じように家畜小屋で宿泊した人たちも多くいたことでしょう。その一つの家畜小屋でイエスさまはお生まれになりました。

「宿屋には、ないしは客間には彼らの泊まる所がなかった」ということですが、「泊まる所」というのは意訳です。直訳では「宿屋には彼らのための場所がなかった」となります。9か月前に、天使ガブリエルがマリアに告げました。「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。マリアと婚約していたヨセフが悩んでいた時、夢を見ました。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。神の子だ、救い主だと告げられていたイエスさまでしたが、イエスさまを迎える場所がなかったというのです。宿屋にも客間にも場所がなかった。イエスさまをお迎えする人が誰もいなかった。なんということでしょうか。

イエスさまの誕生、クリスマスは、この後に天使が羊飼いたちに語っているように、《すべての民に与えられる大きな喜び》ですから、どこの国の人でも、どこに住んでいる人でも、クリスマスをお祝いすることができます。お祝いすべきことです。《すべての民に与えられる大きな喜び》なのですから、私にはクリスマスは関係ありませんと言う必要はありません。世界中でクリスマスを祝うことができます。しかし聖書は何と語っているでしょうか。《宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである》、イエスさまをお迎えする場所がなかったというのです。お迎えする人がいなかった。お祝いをするときには、たとえば誕生日のお祝いであれば、誕生日を迎えた主役の人がいます。クリスマスのお祝いの主役はイエスさまです。でもイエスさまをお迎えする場所がなかった。イエスさまをお迎えする人がいなかった。それが最初のクリスマスでした。

そのときは誰もイエスさまが神の子であると知らなかったので、仕方がなかったかもしれません。しかし私たちにはイエスさまが神の子であることを証しする聖書があります。聖書にはイエスさまが私たちの罪の身代わりに十字架に死なれ、3日目に復活しでくだって、私たちの罪を赦して、永遠の命を与えてくださり、救ってくださった神の子ですと証しされています。聖書によってイエスさまが神の子、救い主であると知っている私たちははどうでしょうか。「わたしの心のうちにあなたをお迎えする場所用意しています」と、イエスさまをお迎えしながら、クリスマスのお祝いをいたしましょう。

イエスさまの宿屋
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