これに聞け

  • 11月10日
  • 聖書箇所:ルカ9:28~36
  • 説教:大友英樹牧師

先週の第1礼拝では、イエスさまが弟子たちにご自分のことをどのように思いますかと尋ねると、ペトロが代表するようにして語りました。「イエスさま、あなたはメシア、救い主、神の子です」。ペトロは「イエスさまこそが救い主、神の子と信じています」と言ったのです。そうするとイエスさまは、その告白の上に私の教会を建てようと言われました。教会というのは、「イエスさまこそが救い主、神の子です」と信じて告白するところです。

さてそのようなことがあってから、八日ほどたったとき、イエスさまは12人の弟子たちの中から3人、ペトロ、ヨハネ、ヤコブをつれ得てお祈りをするために山に登りました。この山はどこの山かはわかりません。タボル山という500mぐらいの山ではないかとも言われています。イエスさまは何をするために山に登ったのでしょうか。聖書には《祈るために山に登られた》とあります。イエスさまはよくお祈りをされました。救い主、神の子であるイエスさまであっても、神さまに祈り求めました。イエスさまはいつでも、毎日のようにお祈りされておられたわけですが、聖書には特に大事なとき、どうしたらいいのかを決めなければならないようなとき、イエスさまがお祈りをされたことを教えてくれます。例えば、12人の弟子を選ばれるとき、イエスさまは山に登って、夜の間中お祈りをされて12人の弟子たちをお選びになりました。さきほどお話ししたイエスさまのことをどのように思うかと尋ねたときも、イエスさまは独りでお祈りをされていたときでした。このときも、3人の弟子たちを連れて山に登り、お祈りをしていました。そうすると、どうでしょう。イエスさまの顔の様子が変わって、着ていた服が白く光り輝きはじめました。

さらにそこに二人の人が現われました。一人はモーセ、もう一人はエリヤです。モーセは400年間、エジプトに移り住んでいたイスラエルの民が、その苦しい重労働にたまりかねて、「神さま、助けてください」と叫び、祈っていたとき、その祈りにこたえてリーダーとして選んでくださったのがモーセでした。モーセに導かれて、エジプトから解放される、救われるという経験をすることになります。神さまは強い風を吹かせて、海の水をわけてくださり、そこを通って行くことができました。出エジプトの救いです。そのあとに、モーセはシナイ山で神さまから十戒をいただきます。10の戒め、「私のほかに何ものをも神としてはならない」からはじまって。偶像を拝んではならない、神さまの名をみだりに唱えてはならない、安息日を礼拝の日として守るように、父と母を敬いなさい、殺してはならない、盗んではならない、姦淫してはならない、偽証してならない、他の人とのものを欲しがってはならないというような十戒が与えられました。そしてモーセは約束の地と呼ばれるカナンの地にむけて、40年の荒野の旅を導いていきました。モーセは言いました。「神さまは、あなたたちの中から、私のような預言者を立てられる」。

もう一人はエリヤです。エリヤは旧約聖書の列王記を読むと、当時の王さまが神さまに従わないので、「これからしばらく雨が降らなくなります」と語りました。そうすると本当に雨が降らなくなって、困ってしまいます。3年間雨が降らなかったということです。そうした中で、カルメル山でバアルの偶像に仕える預言者たちと対決をします。捧げものを準備して、神さまが天から火をくだして、捧げものを焼き尽くしてしまうかどうか対決しようというのです。エリヤが祈ると、天から火が降って、捧げものを焼き尽くしてしまいました。この方こそ神さまだと皆がひれ伏すのです。そしてエリヤが再び祈ると、今度は3年間降らなかった雨が降ってくる。しかも大雨が降る。そんなエリヤは年を重ねて老人になると、つむじ風が吹いてきて、聖書には燃えている戦車と馬がやってきて、エリヤを天へと引き上げていったとあります。そういうことがあったので、旧約聖書の最後にあるマラキ書には、神さまが「私は預言者エリヤを遣わす」と語っています。そういうことから、救い主が来られるとき、また来られる前に、天に上って行ったエリヤが現われる。人々はそのように信じていました。

このようなモーセとエリヤが現われます。そしてイエスさまとお話をしています。その姿は栄光に輝いていました。そのときイエスさまと一緒に山に登っていたペトロとヨハネとヤコブはどうしていたのかというと、聖書には「眠りこけていた」と語られています。イエスさまの服が白く輝きはじめ、モーセもエリヤも光り輝いている。「眠りこけていた」ということですから、夜だったのでしょう。暗いところに栄光の輝くイエスさまとモーセとエリヤがいる。弟子たちはその光に驚いて目を覚まします。そしてペテロは何を言ったらいいかわからなくなって、「ここに3つ幕屋を建てましょう」と言ってしまいます。モーセは「私のような預言者が立てられる」と語り、エリヤについて「救い主が来られるときにエリヤがやってくる」と信じられていました。そのエリヤがいる。そしてイエスさまとモーセ、エリヤの三人は話しをしていました。それが31節です。《イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後のことについて話していた》。イエスさまの最後のことを話していました。この「最後」という言葉は、文字通り「最後」という意味と「移動する」「移住する」「出発する」という意味があります。聖書の言葉では、「エクソドス」と言います。出エジプトと同じ意味になります。イエスさまとモーセとエリヤが話しているのは、最後のこと、それはイエスさまの十字架の死です。私たちの罪の身代わりに十字架に死なれるのが最後です。しかしイエスさまはそれで終わらない。出発するというのです。新しい出エジプトをするというのです。それはイエスさまが復活するということです。死に勝利されて、復活される。よみがえる。そうした最後のことを話していました。実は今日の聖書箇所の前のところに、イエスさまがはじめて弟子たちに、ご自分が十字架に死なれること、そして三日目に復活することになっていると話されていました。そのことを確認するかのように、イエスさまはモーセとエリヤと話しています。モーセからすれば、このイエスさまこそ、「神さまが私のような預言者を立ててくださる」と語っていたお方であるとイエスさまを証しする。エリヤからすれば、救い主が来られるとき預言者エリヤを遣わすと言われていた、その救い主はこのお方だとイエスさまを証しする。

そうしたとき、雲が現われて、イエスさまとモーセとエリヤを覆ってしまいます。雲に覆われるというのは、聖書では神さまがそこにおられるというしるしとされていました。そのごとく、神さまが声をかけられます。35節《すると、雲の中から、「これは私の子、私が選んだ者、これに聞け」という声がした》。すると、雲がはれると、そこにはイエスさましかおられませんでした。それはイエスさまこそが、聖書が約束している救い主ですということです。そのイエスさまはモーセとエリヤと話しているように、その最後に私たちの罪のために十字架に死なれ、救われるために復活してくださる。

そういう救い主です。このイエスさまに聞きなさい。従いなさい、信じなさい。それが神さまの私たちへのメッセージです。

これに聞け
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